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転勤族シンバママのワンオペ育児

脊髄脂肪腫が分かるまで

息子のシンバ君は生まれつき二分脊椎の脊髄脂肪腫という疾患があります。

 

今回は生後4日に「脊髄脂肪腫」と診断されるまでの経過を記録していきます。

脊髄脂肪腫とは?

www.shinbamama-tenkin.com

 

 

日記を抜粋したものになりますので

ですます調ではなくなってしまいます。

そしてかなーり長いので

ご興味のある方だけ、よかったらお読みください。

 

 

  

出産当日

妊娠中はなにも問題なく過ごし、普通分娩で出産。

が、無事取り上げてもらい綺麗にしてもらった息子が私の元へ来た時、

先生から腰に水が溜まったような膨らみと

皮膚が少し垂れ下がってる部分があると言われた。

 

続けて先生は

「水が溜まってるだけだろう。問題ない。一応2日後に外来で小児科の先生が来るので見てもらいましょうね」と軽い感じだった。

やっと息子に会えた喜びで出産当日ははあまり深刻に考えず、

少し調べてみるも産後ハイに浸っていた。

 

 

産後1日目 生後1日

少しずつ腰の膨らみの方に気持ちがいくようになって携帯で調べるも良くわからず。

私の息子は他の子と何かはわからないけどあきらかに違う。

こんな子を産んでしまってこの子にも家族にも申し訳ないと思い部屋で泣く。

 

そんな事をしているうちに、ウインナーのように垂れ下がっていた皮膚がおむつ替えで擦れて傷がつき膿んでいるのでガーゼを当てていると言われる。

その時から、これはただ事ではないと思うようになった。

 

段々不安が大きくなり、息子が寝ている間にかなり調べまくった。

自分なりに出した結論は、血管腫または脂肪腫?良く考えれば先生の言っていた通り水が溜まってる?の3つまでたどり着いた。

上記の2つは最悪命や肢体不自由に関わると書いてあり、それだけは嫌だ。他の子と同じように普通に育児がしたいと思った。

 

明日は小児科の先生の診察。

どうなってしまうんだろうと不安で声が出るほど泣いて、母に連絡する。

ナースステーションに行って赤ちゃん見たり、辛いなら看護師さんに相談しなさいと言われ

行ってみるも、お産でスッカラカン。

やっと相談してみるも、その看護師さんが外れで

全然話を聞いてくれないし相談に乗ってくれなくて更に落ち込む。

結局1時間くらいしか寝られなかった。

起きたら目が開けられないほど浮腫んでいた。

 

 

 

産後2日目 生後2日

午後に小児科の先生の診察が始まった。

先生からは出来ればお母さん1人でなく誰か一緒に説明を受けるように言われる。

面会時間の前から夫と母に来てもらうことが出来た。

この時、私の人生終わったと言う気持ちになる。

 

まだ泣くのは早いと思い返し、小児科の先生の話を聞く。

 

先生は「すぐに救急搬送して専門の医師に見てもらった方が良い。もしかしたら脊髄の病気かなにか。最悪膿んでるところから脳にバイ菌が入る可能性があり危ない状態」と言い、すぐに救急搬送の手配が始まった。

 

救急搬送の際、1人だけ救急車に付き添えることになった。

私は産んだばかりと言うことで夫が付き添うことになる。

 

私は産院で待っているように言われるが、そんなこと出来ないと反発。

なんとか先生からのOKを貰い、産後の体を引きずりながら円座クッションを担いで母とタクシーで救急車を追いかけることにした。

 


救急車が来るまでの間、息子はおむつ一枚で保育器に入れられた。

まるで小猿のように小さな体で、眠りながら救急車で運ばれた。

 

この時のことを思い出すと今でも体が熱くなって心臓がズキズキ、

手も震えてきて受け止められなくなるので

自分の中でサーっと流すようにしています。

 

 

病院にて

息子は病院に着くと直ぐに脳外科、新生児科の先生によって

CTやMRIの検査を受ける。

その間、旦那と入院案内の説明を受け、その後はひたすら検査が終わるのを待つ。

 

やっと検査が終わり、専門医の判断は、「脊髄脂肪腫の疑い」と言うことで

しばらくNICUに入院することになる。

 

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幸いにも、産院で小児科の先生が心配していたような、膿んでる場所から脳にバイ菌が入ると言う心配はないと言うことだった。

 

心配が晴れた矢先、先生は「この疾患は生涯付き合わなければならない。今はなんの症状もないが、この先、排泄障害や歩行障害などのなんらかの障がいが出る可能性がほぼ100%ある」と言われ頭の中が真っ白になる。

息子はその日から私と離れNICUへ入院となった。

 

後日もう1度詳しくMRIを撮って、改めて診断が下るとのこと。

非現実すぎて頭がついていかない。

ただただ生まれたばかりの息子と離れること、点滴に繋がれてしまったことが嫌で仕方なかった。

 

15時前に病院に着き、産院に戻ったのは20時ごろだった。

 

 

旦那と嗚咽を吐きながら抱き合って泣いた。

私が代わってあげたい、こんな小さいのに、まだ生まれて2日しか経ってない、もっと抱っこしたかった、早く家に帰って3人で普通に生活したかった。

いろんな思いを言い合ってひたすら泣いた。

 

母は可愛そうで見ていられないと21時ごろ先に家に戻った。

家族の面会は時間が決まっていたが特別にということで夫は24時ごろまで居て私を落ち着かせて帰った。

 

家族は家へ私は産院で一晩過ごした。

 

「悲しい悔しいどうして」が95%

残りの5%は、「息子を守りたい守る私が出来ることをしよう」と不思議な正義感が芽生えた。

 

その晩、産院では離れて過ごす息子へと看護師さんが私の母乳を絞ってくれた。

 

さっき出てきた看護師さんではなく助産師さんが部屋に来てくれたので、

頼もしく今は息子のために出来ることをしようと言ってくれてまた泣いた。

 

母乳バッグという密封できるジップロックのようなものに母乳を入れて冷凍して息子の元へ届ける。

母乳バックを持っていなかったので産院ですべて提供してくれた。

 

搾乳中、早く退院させて、息子の元に通いたいと泣いて訴えた。

先生に確認後、明日の診察でOKが出ればということになった。

 

私の中では退院して息子の元に向かう為、泣いていられないと思い、その日は無理やり寝た。

次の日、朝一で搾乳してもらい、その後一番で診察、

午前中のうちに念願の退院許可がおりて産後3日で退院となった。

 

 

私の母は本来であれば産後3日目に帰る予定であったが、あと2日居てくれることになった。

 

退院後、そのまま息子の病院へ向かう。

 

ありがたいことに、退院直前まで看護師さんが何度も母乳を絞ってくれたおかげで、おっぱいが張るまで母乳が出るようになっていた。

 

息子のいる病院の売店で母が搾乳機と母乳バッグを買ってくれて、母乳を搾乳機で絞り息子へ届ける毎日が始まった。

 

 

 生後4日 脊髄脂肪腫の診断

詳しくMRIで調べてもらい、出た診断は

やはり二分脊椎の脊髄脂肪腫。

脂肪腫の中でも、手術難で一番レベルの重い

「脊髄髄膜瘤」ということだった。

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膨らみから垂れている皮膚は、

脂肪腫の合併症として見られるものとのこと。

 

これから起こる症状としては

膀胱障害や歩行障害が出る可能性が極めて高い。

というか必ずでる。

MRIを見る限り、なるべく早いうちに1度手術で手を打つ必要がある。

体力の着く生後3か月が妥当だと判断される。

症状が出るのは今すぐではないが、早ければ最悪明日かもしれないし

3か月後、1年後、いつかははっきりとはわからないとのこと。

そして手術をしたからと言って症状が出なくなわけではなく

遅らせるための予防的措置だとも説明される。

頭がついていかなくて泣く暇もなく説明が終わった。

 

皮膚が垂れているところに害はないのでNICUにいる間に切除する。

1週間後に手術、傷の経過をみて退院することになった。

 

 

 

 

こうして日記を振り返ると、その日のことが昨日のように蘇ってきて

息が苦しいです。

でも、妊娠中に髄膜瘤と診断されていたらもっともっと苦しかっただろうと思います。

このときは、なぜ私?もっと子供欲しくないのに産む人だっているじゃん。

生まれてすぐ捨てる人だっていて、なんでそんな人に健康な赤ちゃんが生まれて

なんで私たちのところには障害児が生まれるの。

周りがうらやましいと感じることもありました。

 

それと同時に、こんな子を産んでしまって申し訳ない。

私にはもっとできることがあったんじゃないか、私の体がなにかおかしいからなのか。

自分を追い詰める時期もありました。

 

でも今は前を向いて過ごしています。

手を差し伸べてくれた周りの人たちのおかげです。

 

 

今の私があるのは周りの人のおかげ

私のせいでこの子がこんな目に・・・と思い詰めているとき、

その度に夫が、誰も悪くないよ。本当に。しょうがないことなんだよ。と

泣きながら言ってくれました。

夫婦二人で乗り越えて今があります。息子のおかげで更に絆が深まりました。

どちらかが泣いたらどちらかが慰めて。時には両親の愛情に包まれて。

お互いを支えながら過ごしました。

母が手伝いに来てくれていたので、いろいろと話すことが出来

気分転換になったのがすごくありがたかったです。

夫も義理に母ではあるけど、母が帰るときはさみしいと言ってくれました。

 

そして出生届を出しに行くついでに保健所にも相談にいきました。

親身に話を聞いてくれて住んでいる地域のサポート制度も教えてくれました。

 

保健師訪問を早めてくれて保健師さん自身が脂肪腫のことを調べてきてくれて

もし障害が出た場合に受けられる制度や、小児特定疾患の制度のことも教えてくれました。

 

辛いときはどんどん助けを求めて、そして色んな人に支えられて

今の私、家族がいます。

改めてありがとう*

 

そして、同じように悶々とされている方がいたら、周りに助けを求めてみたら

助けてくれる人はたくさんいると教えてあげたいです。

 

 

 

息子が選んだ?我が家とこれから

前向きに、息子のために過ごそうと2人で決めたとき頭の中に浮かんだことがあります。

 

息子は私たちを選んで生まれてきてくれたのだと。

 

きっとほかの家庭に生まれたら、放置されてしまうかもしれない

見捨てられちゃうかもしれない。

でもこのお家なら全て受け入れてくれるから大丈夫。

 

と確信して我が家に来てくれたんだと思いました。

 

だから入院中、

息子にうちに生まれてきてくれてありがとう。

正解だよ。

って言いました*

 

我が家を選んでくれた息子、

これから困難な道が待っているかもしれないけど、

困難を乗り越える楽しみを見つけられる人生にしてあげたいと

日々思っています。

 

 

おわりに

今思うと、産んだ直後に色んなことがありすぎて、息子はもちろん私も夫もみんな頑張ったなと思います。

そして産後直後の体で毎日1時間以上かけて息子の元に通えたなーと自分を褒めたくなりました。

 

長くなりましたがお読みいただきありがとうございました。

 

次回以降は、長ったらしく書かずに

入院や手術、通院の記録を簡潔に書いていけたらと思います。